――“あの存在”を、そっとフォローから外した日。
あれは確か、出会った年のことだった。
なぜか、その年は1年を通して、ドラマの中で何度もその姿を目にした。
まるで偶然を装った必然のように、どの作品にも必ずと言っていいほど登場していて、
知らず知らずのうちに、その透明感と独特の空気感に惹き込まれていった。
特にその年の秋、音楽をテーマにしたドラマで歌声を響かせていた。
その姿からはあふれんばかりの音楽愛が伝わり、
「本当に音楽が好きなんだ」と強く感じた。
そしてそのドラマをきっかけに、本格的に音楽活動もしていることを初めて知った。
興味が一気に広がり、その歌を何度も聴き込んだ。
その声が胸に染み渡り、まるで日常にそっと色を添えるような感覚が心地よかった。
けれど、時が経つにつれて、少しずつ違和感が芽生え始めた。
節目として発表された写真集の告知。
最初は素直に祝福の気持ちでいっぱいだったけれど、
そこに漂う、これまでとは違う空気感に、どうしても馴染めなかった。
音楽活動のときは多少攻めた表現も受け入れられていたのに、
今回はどうしても“好き”の感覚が追いつかなくなってしまった。
きっと、自分の中にあったイメージが、
少しずつ別のものにぼやけていったのだろう。
一方で、まったく別の存在には素直に惹かれたこともあった。
あるイベントで偶然目にした一枚の写真。
その写真に映る空気感は、まるで作品の一部のように自然で、
まっすぐに心に刺さった。
一目惚れという言葉がぴったりで、
その瞬間から何度も見返し、追いかける日々が始まった。
なのに、同じ“写真”という形をしているはずなのに、
今回のあの写真集の推しはどうしても受け入れられなかった。
それがなぜなのか、自分でも説明がつかない。
どちらも魅力的で、どちらもその人自身が表現したものなのに、
心が受け止めるフィルターはまるで違う。
もしかしたら、以前抱いていたイメージや期待が強すぎて、
今回の変化が素直に理解できなかったのかもしれない。
そのジレンマが、自分の中でずっと渦巻いていて、
だからこそフォローを外す決断は簡単ではなかった。
スマホの画面に指を伸ばし、フォローを外すボタンを押した瞬間、
胸の奥にぽっかりと小さな穴が空いたような感覚と同時に、
どこかで少し気が楽になった自分もいた。
だけど、それもまた、自分の心が正直に動いた証拠なのかもしれない。