朝ドラ「風、薫る」8月21日放送・第105回を視聴して感じた、明治の「お国のために」という言葉について考察。昭和の戦争との違いにも触れながら、戦争の足音が近づく中で描かれる人々の暮らしを考えます。
「お国のために」という言葉が急に遠く感じられた
8月21日放送の「風、薫る」では、物語が2年後へ進み、戦争の足音が近づいてきました。りんと直美はこれまでと変わらず看護の仕事を続けていますが、虎太郎や多江の身にも、それまでの日常とは違う変化が訪れます。
今回見ていて気になったのは、戦争そのものよりも、むしろ「お国のために」という趣旨の言葉でした。
私は最初、「この時代から、もうそんな言葉が出てくるんだっけ」と少し意外に感じました。
というのも、「お国のために」という言葉から連想するのは、どうしても昭和の戦争です。
兵士だけではなく、学校や家庭、地域社会まで戦争に組み込まれていく時代の言葉として聞き慣れているからです。
けれども、実際には明治期にも国家や国民という意識は形成されつつありました。
むしろ日清戦争は、そうした「国民」と「国家」の結びつきが社会の中で強く意識されるきっかけの一つだったとも考えられています。
そう考えると、今回の台詞は時代から浮いたものというより、明治という時代が少しずつ変化していく過程を示す言葉として見ることもできそうです。
明治の「お国のため」と昭和の「お国のため」は同じなのか
ただ、ここで一つ考えてみたいのは、「明治にもお国のためという意識があった」からといって、それをそのまま昭和の戦争と同じものとして考えてよいのか、ということです。
おそらく、そこにはかなり大きな違いがあります。
明治の日本は、近代国家として形を整えていく途中にありました。
国民国家という仕組みそのものが、まだ新しい。
一方で、昭和の戦争期になると、国家による社会の動員はさらに強まり、戦争を支えるために学校や地域、家庭の日常生活まで深く組み込まれていきます。
現在の私たちから見ると、どちらも「お国のため」という言葉で表現できてしまいます。
しかし、その言葉を口にした人が何を思い浮かべていたのかは、時代によって違っていた可能性があります。
だからこそ、「風、薫る」で明治の人々が戦争の気配に直面する場面を見ていると、昭和の戦争を知っている私たちの感覚だけで受け取るのは少し違うのかもしれないと思いました。
同じ言葉でも、その背景にある社会の仕組みや、人々の国家に対する距離感が違えば、言葉の響きも変わってくるからです。
戦争は突然始まるのではなく、日常の中に近づいてくる
今回の回で印象に残ったのは、戦争が始まる瞬間そのものよりも、「戦争の足音が近づいている」という描き方でした。
りんと直美は、看護の仕事をして、人と接して、それぞれの日常を生きています。
その日常のすぐそばで、少しずつ社会の状況が変化していく。
この構図は、戦争を歴史上の大事件としてではなく、一人ひとりの生活に入り込んでくるものとして考えるきっかけになります。
虎太郎や多江に訪れる変化も、その一つなのでしょう。
それまで普通に続いていた仕事や人間関係が、社会の大きな変化によって少しずつ違う方向へ動き始める。
そこに、明治という時代の変化と、戦争という国家規模の出来事が重なっています。
日清戦争は1894年から1895年にかけて起こり、その後の日露戦争などを経て、日本社会における国家意識はさらに強まっていきました。
今回の「戦争の足音」は単なる次の事件への予告ではなく、日本社会そのものが変わっていく入口としても見ることができそうです。
「お国のため」という言葉の中にあるもの
「お国のため」という言葉は、現在の私たちからすると、とても強い言葉に聞こえます。
特に戦争を経験した昭和の歴史を知っていると、そこに国家への忠誠や犠牲を求める意味を読み取りやすいでしょう。
しかし、明治の人々にとって「国」がどのようなものだったのかを考えると、もう少し複雑だったのではないでしょうか。
明治維新によって社会そのものが大きく変わり、それまでとは違う「日本」という国家が形作られていく。
その中で、自分も新しい国を作っている一員なのだという感覚を持った人もいたでしょう。
実際、日清戦争の時期には、貧しい人々が献金をするなど、「国民」として国家に貢献することを美談として語る事例も。
もちろん、当時の人々が全員同じ考えだったわけではありません。
だからこそ、「お国のため」という一言を聞いたときに、それをただ「軍国主義的な言葉」と決めつけるのではなく、近代国家が形成されていく中で、人々が自分と国家との関係をどのように捉えていたのか、と考えてみるのも面白いところだと思います。
戦争の時代を描くとき、「風、薫る」は何を見るのか
「風、薫る」は、もともと明治という大きな変化の時代を舞台に、看護という新しい仕事に進んだりんと直美の姿を描いてきました。
だから今回、戦争の気配が近づいてきたことにも意味があるように感じます。
これまで二人が向き合ってきたのは、目の前にいる患者や、それぞれの人生でした。
ところが、戦争という国家規模の出来事が近づけば、個人の努力だけではどうにもならない力が生活の中へ入ってきます。
そのとき、りんや直美が何を選び、何を守ろうとするのか。
そして、戦争と目の前にいる一人の人間を助けることが、どのような関係になるのか。
そこに、この作品ならではの物語が生まれるのではないでしょうか。
今回の放送を見て、「明治の戦争と昭和の戦争では、やはり空気が違うのではないか」と感じたのも、そんなところからでした。
もちろん、まだ戦争が始まったばかりの段階と、その後の時代を同じ感覚で語ることはできません。
だからこそ、「お国のため」という一つの言葉を手がかりにして、その言葉が明治の社会でどんな意味を持ち、そこから日本社会がどのように変化していったのかを考えてみる。
そんな見方をすると、今回の「風、薫る」は、戦争そのものだけではなく、日常を生きる人々の世界に国家という大きなものが入り込んでくる瞬間を描いた回としても見ることができそうです。
これから戦争が物語の中でどこまで人々の日常を変えていくのか。
りんと直美が看護師として何を見て、何を選ぶのかにも注目したいと思います。
